サンフランシスコ湾といえば、何といってもゴールデン・ゲイト・ブリッジだが
アル・カポネも収監されたアルカトラズ島の連邦刑務所や
市内の美しい夜景が眺められるトレジャーアイランドに寄れるベイ・ブリッジ
も知られている。
このベイブリッジ、1989年死者63人を出したサンフランシスコ地震
高架橋が崩壊し通行止に。
先週、レイバーデイを利用して橋の架け替え工事があり
地震後、二十年振りに三日間通行止めとなった。
実は、二回の通行止めの期間中、何れも私はこの地に足を下ろしている。
何と言う因縁なのだろうと、地震の記憶が甦ってきた。
10月17日午後、この地を襲ったマグネチュード6,9の大地震
フィッシャーマンズ・ワーフの一角で買い物をしていた時だ。
立て揺れの地震を感じた瞬間、大揺れに。
お店に居た女性客は、恐怖に慄き泣き叫ぶ始末で
建物の崩壊を危惧した私は、外に飛び出しケーブルカーを模したバスに飛び乗り
ユニオン・スクエアーに非難した。
市内は停電、交通機関は麻痺、外は暗くなる一方で浮浪者も目立ちはじめ物騒この上ない。
急ぎジャパン・タウンにある都ホテルを目指し足を速めた。
一方日本のテレビニュースでは、橋の崩壊と火事の映像が頻繁に流れたため
かみさんが、初めて安否確認の国際電話をかけていた。
電話網も麻痺していたため繋がらなかったが
発生二日後に公衆電話から日本に国際電話をし、かみさんと会社に無事の声を届けた。
そう言えば、災難はここで終わらなかった。
どうにかサンフランシスコの仕事を終え、ボストン、ニュウヨークを周り
大西洋を越え、ベルギー、ドイツへと足を伸ばし
ミュウヘンからイギリスのガトウィックへ。
空港について、ターンテーブルでバゲッジが吐きだされるのを待つも、私のだけが出てこなかった。
そう、ロストになってしまったのだ。
しかも、とうとう発見されずの。

世界一周と引き換えに起きた災難だったが、でも今になっては災難の方が思い出深い。

心のシワとなって刻み込まれているからだろう。