三陸復興国立公園北山崎。リアス式海岸の代表的景勝地だ。
ここ北山崎を知ったのは、48年ほど前のこと。岡山県在住の医師で写真家の故緑川洋一氏の写真だった。荒々しい海岸と打ち寄せる波。この写真を見て風景写真に興味を持ったほど。
それ以来何時か訪ねてみたいと想い続けていた北山崎を目の前に。念願叶いカメラを持って第一展望台に行ったが、生憎の曇り空。諦めきれずに第二展望台まで降りていくと、積年の想いが通じたのか、一瞬太陽が顔を出し断崖絶壁の海岸に光を送ってくれた。これぞ奇跡の瞬間。言葉に表せない感動を頂いた。
私を強く引き付けた緑川氏の写真そのものの荒々しさを全貌にすることが。
第一展望台に戻ると空はまたどんよりとしたが、本州最東端とどヶ崎からやなせと呼ばれる海霧が帯状に流れてきた。こんな霧を見るのは初めて。大自然は積年の想いにご褒美を下さったのか。
今回の旅で唯一宿を取ったのが、北山崎を目の前にした白花シャクナゲ荘。旅の3日目。宮古浄土が浜の観光途中にかみさんが、宿に泊まりたいと言い出した。慣れないキャンカー旅と先の行程を考えると無理をしてはいけないと、ネットで北山崎の宿を検索した。天気が良くなれば、朝日の海岸も撮れると思ってのことでもあった。
宿泊予約の電話をいれると、「六時までは到着してほしい」とのことで、喜んで電話をを切ったが、走り出してから名前も電話番号も聞かれなかったし伝えていないことにも気づいたが、時間が限られているため遮二無二車を飛ばした。
六時少し前になんとか辿り着くと、ご主人が「うっかり名前と電話番号をお聞きしなかったが、情熱的な声から絶対に来ると信じ、食事とお風呂を用意しておきました」と、笑顔で。また、今日は今月初めて貴方達一組だけの宿泊客ですと、広い角部屋まで用意していただけた。
帰りがけ、息子さんご夫婦ともお話をしたが、東京に勤め結婚をされてから、この宿を継ぐために戻ってきたそうだ。東京育ちの奥さんにとっては、不便なことも多いようだが、幸せそうな笑顔が、それを包み込んでいる。
「撮影した写真は、お送りしません。また来た時に、お渡ししたい」と約束し、下北半島に進路をとった。