吹き付けるような雨が降った土曜日。
それでも、日曜日は快晴の天気予報を信じ、伊豆の住処へ
細野高原のリベンジ撮影を目的に、車を走らせた。
何時も、東名から通称オダアツ、そして真鶴道路へとハンドルを握る。
因みに、オダアツは、覆面パトカーがよく出没することで知られている。
かみさんは、その小田原厚木道路の終点から見え出す相模湾の景色が好きで
何時も歓声を上げる。
海ナシ県の埼玉に住んでいる者ならではのハシャギ方は、私とて同じこと。
気持ちが、清々すること、この上ない。
終点の橋本インターから海沿いに真鶴道路を熱海に向かうが、
料金所から直ぐにトンネルがあり、抜けると海上橋が架かっている。
この橋に差し掛かるたび、海岸の家は景観が悪くなったんだろうとなっと、妻に話して言るが
この橋のたもとに岩海岸と書かれた出口があり、
ここは、小学校5、6年生の臨海学校で泳ぎを学ん海でもあり
高校時代、かみさんと初めての遠出のデートを楽しんだ海岸でもある。
今回は、カミサンが日帰りするため猫はお留守番役で、久しぶりのドライブ気分。
二人旅よろしく、思い出に立ち寄ることにしたが
その海岸で一番先に目に入ったのが、何時も通るその海上橋だった。
まさか、それが岩海岸だったとは。
それだけでなく、寝泊りした岩小学校は校舎は新しくなっていたが、なんと廃校の憂き目に。
校庭には重機が置かれていたので、取り壊しの運命なのだろう。
校歌の石碑と、懐かしい昔はどの小学校にも置かれていた二宮金次郎の像が
卒業していった子供たちの変わりに、学校を見守っているようでもあった。
海で泳ぎを覚えて既に47年経つが、廃校が、そして海上橋が、時間の経過を物語る。
まさに、光陰矢の如しだ。
失うことの寂しさと現在の充実感が入り混じり、複雑な気分になったが
同時に、勉強嫌いでヤンチャな自分が、良くぞここまで来れたと、つくづく思う。
それは、かみさんを含め、ここまで支えてくれた周囲の方々の優しさからだ。感謝せねば。
まずは、ありがとう岩小学校そして岩海岸。