宣言

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ブランデンブルク州の首都ポツダム。市内には夢憂宮と呼ばれるロココ建築のサンスーシー宮殿があるが、日本人には第二次世界大戦の敗北を受け入れた「ポツダム宣言」を思い出す人が大方だろう。

55本の煙突と組み木が特徴のツェツィリエンホフ宮殿が宣言の舞台となったのは、1975年7月26日のこと。第二次世界大戦で日本、ドイツ、イタリアの三国同盟に勝利したアメリカ、イギリス、ソ連の主要連合国会議が開かれ、無条件降伏を要求する宣言が発せられた。日本は8月14日にそれを受諾し、翌15日に天皇陛下の玉音放送「終戦の詔書」がラジオから流れ、無条件降伏となった。

この時点で、だれが戦後日本の経済発展を予測出来ただろうか。日本国と国民にとって大きな歴史の転換点である。