初日の夜は、常磐道茨城県湯の岳PAに。翌朝放射能情報があるのを見て目を凝らすと、やはり帰宅困難地域の浪江の放射線量が高かった。
福島に入ると、所々にモニタリングポストがあったが、浪江は荒れた耕作地と除染された土を入れた土嚢が目立った。
松島で常磐道を降りて、奥松島から30メートルを超える津波に襲われた女川から雄勝を経て、気仙沼道の駅大谷海岸で、停泊。
実は、8年前に防災無線システムの話を聞くために、この海岸に足を運んでいる。その時聞いた話では、12メートルの津波を想定しているとのことだったが、美しい砂浜と松並木に道の駅まで津波が飲み込んでしまい、電車の線路とホームだけが残された。
海水浴場としても人気の高かった海岸は、その姿を一変させていた。
車内で朝食を済ませ、45線を北上。奇跡の一本松で知られた
陸前高田市へ。震災後枯死して今はレプリカだか、その松に鳥の巣があった。ここから新たな命をもらい巣立った鳥がいるとしたら、亡くなられた方々の命を背負い天高く飛び回っていることだろうと、思わずにいられなかった。
さらに宮古へとアクセルを踏み、リアス式海岸の始まり浄土が浜へ。さらに、日本一の海岸美を誇る北山崎へ。
昨晩寝つけなかったかみさんが、車中泊をギブアップ。この地で宿を取った。
前半は、福島、宮城、岩手と、東北大震災の爪痕を辿る旅になったが、これは、かみさんが希望したルートでもあるが、未だ残る震災の瓦礫と復興の道しるべは、かみさんの繊細な心に、強く刻まれたはずだ。
明日は、朝の連ドラあまちゃんで有名になった久慈から八戸を通り下北半島へ。北海道上陸には、まだ遠い。